春、四国旅行
Text: アベトンボ
2001年3月6日(2日目)
1)ケーブルカーで屋島登山
旅行2日目。今日は屋島を観光した後、余裕があれば金比羅参りをし、その後高知に向かう日程である。おそらく今日も結構ハードな日程になることだろう。
朝起きて外を見ると、天気は晴れだった。この様子なら今日もあちこち見て回れそうである。私は着替えると早速、会館のレストランの朝食に行った。朝食券はチェックイン時に購入でき、和食・洋食もしくは朝粥から選ぶことができる。朝粥も良さそうだったが、今日の昼はまたうどんを食べるだろうから、ここは洋食にした。
またその洋食朝食が値段の割に良く、焼きたてのトーストと目玉焼き・サラダ・コーヒー(または紅茶)・ジュース(オレンジ・トマト)というイングリッシュブレックファーストなのがとても良かった。香川厚生年金会館、いや厚生年金会館自体、今回初めて宿泊したのだが、宿泊施設としては良い穴場かもしれない。
9時頃に会館をチェックアウトし、まず片原町駅近くの香川銀行で旅行資金をおろす。一気に高額をおろすと、もしどこかで財布を盗まれてしまったとき被害が大きくなるので、私は必要になったらその都度少量ずつお金をおろすことにしている。
片原町駅から昨日と同じようにコトデンに乗り、瓦町で琴平線から志度線に乗り換える。琴平線と長尾線の電車は瓦町を経て、高松築港まで行くが、志度線だけは全ての電車が瓦町始発なのである。志度線の電車は瓦町を急カーブで出発すると、市内にこまめに設けられた駅に停車しながら東に向かう。電車はやがて郊外の田園地帯を走るようになり、海側の車窓に溶岩台地の屋島が現れるとまもなく琴電屋島駅である。瓦町〜琴電屋島は所要時間13分である。駅前は観光地の駅とは思えないくらい閑散としており、店らしい店も1、2軒しかない。どう見てもこれでは郊外電車の小駅である。この様子からすると、普通の観光客は電車なんかではここには来ないのかもしれない。
高松市街の東にある屋島は、瀬戸内海に突きだした屋根状の溶岩台地であり、源平合戦ゆかりの地として広く知られている。山頂には四国霊場第84番札所の屋島寺や屋島山頂水族館、瀬戸内海の好展望が得られる展望地などが点在している。また、山麓には四国の様々な民俗を紹介する「四国村」という博物館もある。
その屋島山頂へ行く手段は2通りしかない。1つは琴電屋島駅に近い麓から山頂へダイレクトに登るケーブルカーであり、もう1つはこれまた琴電屋島駅に近い麓から山の東側をまわってゆっくりと山頂へと登っていく屋島ドライブウェイ(有料道路)を使う方法である。私は最初から当然前者を使うつもりである。
が、琴電屋島駅からケーブルカーの登山口駅まで私が行こうとすると、駅前に一人立っていたお遍路のおばさんが私のことを呼び止め、「一緒にタクシーを使って山頂に行かない?」と誘って来るではないか。おばさんは、タクシーを相乗りする人を今か今かと駅前で待っていたようで、ちょっと気の毒ではあったが私はケーブルカーで行くと丁寧に断った。おそらくタクシーを相乗りしても、ケーブルカーの方が安いだろうと思ったからである。
そのケーブルカーの運賃は片道¥700、往復¥1300と少々高めだ。私は往復で切符を買った。このケーブルカーは正式には「屋島登山鉄道」といい、車両2両が山頂と麓のちょうど中間地点ですれ違うという典型的なかたちのケーブルカーである。車両2両にはそれぞれ「義経号」・「弁慶号」と名が付けられている。
登山口駅はこれまた閑散としており、私以外には売店のおばさんしかいなかった。何分かすると、山頂から弁慶号が下りてきた。そして中から運転士らしい老人が一人だけおりてきて、その売店の横の座敷でちょっと一服、お茶をすすり始めた。閑散期はいつもこんな調子なのかもしれないが、もしかしたら全く乗客がいない場合は、勝手にその便を運休にしてここでお茶をすすっているかもしれない。
発車時刻が迫ると、その老人はよっこらしょと立ち上がって私一人を自ら改札し、弁慶号の運転席に乗り込んだ。弁慶号は私一人だけを乗せて動き始めた。ゆっくりと山を登っていくにしたがって展望が開け、左手には高松の街全体が見えはじめた。天気が良いので遠くまで見渡すことができる。車内には屋島や高松について説明したテープが流されるが、私以外に乗客がいないので何だか空しく聞こえる。そのまま弁慶号は山のちょうど中腹で義経号とすれ違って5分ほどで山頂駅へ到着した。運転士の老人は、山頂駅にも同じように設けられている座敷へしずしすと引き上げていった。
2)屋島寺
駅を出ると、その前は小さな広場になっていて、麓と同じようにこちらにも何軒か売店が建っていた。しかもこちらも見事に誰もいない。売店の店員すらいない。人がいないかわりに3匹の犬が気持ちよさそうに日なたで寝ていた。そのうちの1匹が人間の気配を感じたのか、ゆっくりと目を覚まして私の方をトロ〜ンとした目で見てきた。まるで、「こんなところにやって来るなんて君も物好きだねぇ。」と言っているようだった。
屋島山頂は南嶺と北嶺に分かれていて、屋島寺や屋島山上水族館などのいわゆる見所は南嶺に集中している。普通の観光客であれば、だいたいは南嶺しか行かないのであるが、私は今回北嶺の方にも足をのばすことにした。北嶺には瀬戸内海の好展望台である遊鶴亭がある。ともあれまずは南嶺の屋島寺を目指して歩く。
ほとんどの観光客は屋島ドライブウェイの方を使うからだろうか、ケーブルカーの山頂駅から屋島寺までの道では地元の人と何人かすれ違っただけで、観光客らしい人には一組しか会わなかった。静かな道を20分ほど歩くと屋島寺だ。山門の前では地元の幼稚園児達が先生に連れられて木の実拾いをしていた。
屋島寺は天平勝宝6年(754年)に唐僧の鑑真によって建立されたとされる古い寺である。山門をくぐって境内に入ると、何と言ってもまず目に入ってくるのは本堂とその隣にある巨大な2体の狸の石像に挟まれたお社だろう。このお社は四国狸の大将“太三郎”を祭ったもので蓑山大明神と呼ばれている。各施設の横には説明板があり、日本語と英語でそれぞれ解説してある。説明板によると“太三郎”は四国狸の総大将であり、弘法大師が霧の屋島で道に迷ってしまったとき、老人の姿に化けて彼を頂上まで道案内したそうだ。また源平の屋島の戦いの直前には、その危機を住職に知らせたのだそうだ。それと同じことが英語でも書いてあるのだが、「狸が“metamorphose”(メタモルフォーゼ)した」といきなり書かれていても、その読む人が日本では昔狐や狸は変身すると信じられていたということを知っていなければ全く意味不明に感じるような気がするのだが…。
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