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春、四国旅行


Text: アベトンボ



2001年3月6日(2日目)


4)「四国村」


 昼食は琴電屋島駅近く「四国村」となりのうどん屋でとった。昨日の夕方と同じく釜揚げうどんを注文したのだが、今回は大盛りにしてみた。大きなお椀に3玉分のゆでたてうどんがドーンと入っていて、つけ汁は巨大な瓢箪のような形をした熱い瓶の中に入っていた。観光客が多い店なので、味の方はどうかなと食べる前はちょっと不安だったが、その不安は見事はずれた。相変わらずうまい。おまけに量の方も満足な分だけあったので、私はこの時本当にここに来て良かったと心から思った。

 ここまで来たからには「四国村」にも寄ってみよう。これで琴平に行く時間は完全になくなってしまったが、金比羅参りは今度の機会に譲るとして今日は屋島周辺をゆっくりとまわろう。

 「四国村」は、屋島山麓の斜面に四国各地から移築復元した様々な民家と1万点以上もの民具を展示する博物館である。園内は結構広く、入口のすぐ横には祖谷地方にあることで有名な「かずら橋」が再現されていて、もちろん実際に橋の上を歩くことができる。実際に歩いてみると、やはり吊り橋なのでかなり揺れる。しかし、思ったよりはずっと丈夫そうだ。「かずら橋」はシラクチカズラというマタタビ科の植物によって作られている。このシラクチカズラは、火であぶると自在に変形するという性質を持っており、それを編んで橋を造るのだ。祖谷地方は平家の落人の里と言われて有名だが、この橋も源氏が追っかけてきたときにいつでも切り落とせるように作ったという説もあるそうだ。

 園内の奥には四国各地の民家を移築したものがあちこち点在していて、民家以外にも、こうぞ蒸し小屋(「こうぞ」は和紙の主要原料)・砂糖しめ小屋(牛に車石の腕木を曳かせて、サトウキビを絞るのに使用したという円錐形の茅葺き屋根の小屋)・醤油蔵に麹室・阿波地方の漁師の小屋などがあり、四国地方の民俗が目で見て分かるようだった。観光地的な華やかさは全くないが、民俗学やそういったものに興味のある人にはとても面白い博物館だと思う。


5)讃岐から土佐へ


 さて、四国村を出れば時刻はすでに午後2時を越えている。そろそろ今日の宿泊地高知に向けて出発しなければならない。高松まで行きと同じように琴電で戻るという手もあるが、高松からJRに乗り継ぐことを考えれば、最初からJRを使った方が良いに決まっている。そういうわけで私は琴電屋島駅から500mほど離れたJR屋島駅に移動した。琴電屋島とJR屋島の間は何の変哲もない郊外の住宅地という感じであった。

 JR屋島駅もやはり都市郊外の駅という感じであり、観光地っぽさが全く感じられない。私はここで「四国ゾーン周遊きっぷ」をようやく取り出した。これから9日の松山まではこの切符のお世話になるのである。この切符は5日間、四国内のJRと第3セクター鉄道に乗れて、しかも特急自由席まで使えるというのだから、エリアを絞れば「青春18きっぷ」より得な感じがする。駅に入ると、すぐに高松行きの普通列車が来たのでそれに飛び乗る。中は空いてもなく混んでもいないという感じのほどほどの乗車率。私はおもむろに席に座る。列車は琴電よりもやや内陸を走って高松を目指す。景色はこれまた高松郊外の住宅地であまり面白みはない。途中、昨日ちょっとおじゃました栗林公園北口駅に停車して、15分ほどで高松駅に到着。ここで乗り換え。時刻表を見ると、高知へ行くには15時59分発の「南風リレー号」に乗り、多度津で特急「南風11号」に乗り換えるのが一番良さそうである。まだその列車まで多少時間があったので、昨日はほとんど見なかった高松駅構内をぶらぶらと歩いてみた。高松駅は以前は宇高連絡船の発着地でもあったので、駅自体が岸壁にある感じだった。だが、瀬戸大橋が完成して宇高連絡船が廃止され、その乗り換えのための機能は必要なくなったので、辺り一帯が再開発されることになったのである。かなり広い土地なので、再開発が完成すれば瓦町一帯と同じくらいの繁華街になるかもしれない。もともと高松という町は香川県の県庁所在地というだけでなく、四国の玄関口としての顔も持っており、人口も松山に次ぐ四国第2の都市である。したがってこの再開発は思いのほか結構重要なプロジェクトなのかもしれないと感じた。


 15時59分発の「南風リレー号」は車両自体は普通列車と全く同じである。だから特急列車に接続するという機能の他にもローカル列車としての機能も持っているようだ。実際の乗客も、長距離客よりも明らかに近距離利用の客の方が多い感じだ。列車は「瀬戸の花嫁」をバックミュージックに出発。坂出までは昨日通ってきたルートを走る。高松を出ると、まもなく五色台の裏をまわり、その後すぐに坂出に到着。坂出は立派な高架駅で周辺は工業地帯という感じだ。乗り降りも結構激しい。坂出を出ると、まもなく瀬戸大橋につながる線路が右に分かれていき、例の「大三角線」になる。宇多津の手前で今度は右側から瀬戸大橋からの線路が合流する。続く宇多津・丸亀も立派な高架駅で、やはり周辺は工業地帯と市街地になっている。この辺りが四国で一番人口密度の高い地域であろう。丸亀を出ると列車はそのまま高架線を走って終点の多度津に到着した。

 ここで岡山発の特急「南風11号」に乗り継ぐ。「南風11号」は「南風リレー号」とは数分の接続ですぐに多度津を出る。「南風11号」は高知を越えてさらに先、明日の目的地である宿毛まで行く列車であるが、3両編成なのがイタイ。1両目は半室グリーン車の指定席であり、2・3両目が自由席になっている。私は当然自由席で禁煙車の3両目に乗ったのだが、ほぼ満席で、隣の席のビジネスマンに遠慮しながら荷物をおろすのは億劫だった。JR四国も苦しいのは分かるが、せめてもう1両増結してくれないものだろうか。

 多度津から土讃線に入る。ここから一気に四国を横断して太平洋側に出るのである。車窓に目を転じれば、琴平までは讃岐平野の田園地帯がひろがる。この辺りには溜池がたくさんあるはずなのだが、それらしい物は見えなかった。そのうち私は眠くなってきてしまい、琴平を出ると深い眠りについてしまった。そしてハッと気づいて起きると、列車は阿波池田に到着する直前だった。

 池田は吉野川中流域の中心となる町である。土讃線で多度津から高知まで抜ける場合、多度津から琴平までは讃岐平野を走るものの、そこから先はひたすら山また山である。琴平〜阿波池田では讃岐山脈を越え、阿波池田〜土佐山田では四国山地を越えるのである。池田はちょうどその二つの山越えの間の谷間にあることになる。町自体には正直これといった見所はないが、ここを起点として祖谷渓などへ向かうバスが出ており、徳島県内陸部の交通の要衝となっている。

 そんな阿波池田では乗客の半分ほどが降りていったので、ようやく余裕をもって座れるようになった。阿波池田を出発すると、列車は吉野川に沿って走り始める。すぐに徳島自動車道のやたら立派な高架橋が上を交差していく。この昔ながらの鉄道線路と最近できた高速道路の立派な高架橋との交差は全国各地で見られるが、毎回ながら思うことは交通予算配分の不公平さである。片方が旧式の設備をずっと使用して、川沿いの狭い谷間をグニャグニャ走るのに対して、もう片方は最新式の設備を持って、山の中をトンネルで直線に串刺しに進んでいくのでは端っから勝負が決まってしまうというものだ。事実、高知自動車道の開通によって土讃線の幹線輸送は大打撃を受けており、その結果がこの3両編成の特急列車なのである。ただし、特急用の車両は最新型のN2000系が使われており、振り子機能により急曲線も高速で走ることができるのがせめてもの救い(?)である。また、同じ道路でも土讃線と平行するR32(高松〜池田〜高知)は昔ながらの国道であり、2車線の狭い道が吉野川沿いに続くというのもちょっと情けない気がする。

 ちょっと専門分野(?)で熱くなってしまったが(爆)、列車は吉野川沿いをひたすら上流に向かって進んでいく。四国一の大河である吉野川も池田より上流になると、さすがに川幅も狭くなる。しかし、この川によって刻まれた谷は深く、窓から上を見ると、四国山地の険しい山々が延々と連なっているのが分かる。やがて土讃線は吉野川一の大渓谷である大歩危・小歩危の脇をかすめる。吉野川によって削り取られた灰色の岩が短冊のように並んでいる光景が何キロも続く。列車や車からこの光景を楽しむこともできるが、もっと近くでこの光景を見たいと思うならば、遊覧船に乗るのがいいらしい。が、今日はさすがにそんな時間はなく、列車から楽しむだけになった。

 大歩危・小歩危を過ぎると、一気に列車は県境越えの長いトンネルに突入する。大歩危・小歩危を食い入るように見ていた他の乗客達がみんな眠りだす。そしてトンネルを抜けると高知県に入る。横にはまだしばらくの間吉野川が寄り添う。吉野川そのものは石鎚山系から湧き出ているので、高知県に入ると川はまた東西方向に流れるようになる。土讃線は、四国山地越えの区間は、主に南北方向に線路が通っているから、この付近だけは東西方向に線路が通っていることになる。その土讃線も大杉あたりで吉野川の流れとおさらばし、いよいよ太平洋岸へ向けての峠越えにとりかかる。が、そこは最新型の車両だけあってまるで平地を走っているのと同じように山をすいすいと登っていく。土佐北川・角茂谷・繁藤・新改と山の中の小さな駅を猛スピードで通過すると、一気に眼下に高知平野が見えるようになる。今まで山の中をずっと走ってきたので、いきなり目の前にパーッと平野がひろがるのを見るとスカッとする思いである。列車は右に左にカーブを曲がりながら緩やかに高知平野に下りていき、山を下りきると土佐山田に停車した。阿波池田以来の久々の町らしい町で、ホームにも人があふれていた。ちなみにアンパンマンの作者である漫画家やなせたかし氏は土佐山田の東隣にある香北町の出身である。そのためか土讃線にはアンパンマンのイラストが描かれまくったその名も「アンパンマン列車」が一部走っている。一歩間違えればゲテモノ列車であるが、話のタネに乗ってみるのもいいかもしれない。

 土佐山田からは夕暮れの高知平野を西へとひた走り、途中後免にのみ停車して定刻通り高知駅に到着した。高知駅は夕方の帰宅ラッシュで非常に混み合っていて、人の熱気でムンムンとしていた。こうして旅の第2エリアである土佐に無事に入国(?)できたのである。